~最期の朝~vol.2


夫が倒れたのを見た瞬間これはやばいと感じ、中学生の長男にお父さんヤバいか

らと、私は人工呼吸、長男は心臓マッサージをするように、義母には救急車の要

請を三女と次男にはAEDを探し、近所の大人を呼んでくるように言いました。

救急隊が到着するまで、長男と二人で蘇生を試みました。

一度は息を吹き返し、カラいびきをかいたり、戻したり、しましたが、

パンツが濡れた時にそれが何を意味するのか考えるのも嫌でした。

ようやく到着した救急隊の対応はもどかしく、一刻を争う救急救命を担うものと

は、ほど遠いもので、いらだたしく感じました。それは、後から、義母も感じた

ものであったと聞きました。

とるものもとりあえず、救急車に一緒に乗り込み、彼の足をさすって、

「家にかえろうね!」「頑張って!」と声をかけ続けました。

機械で心臓マッサージを受け、時々AEDによる電気ショック。

電話を通じて、恐らく医師の指示を仰ぎ、カンフル剤のようなものを注射か点滴

だったか、何度か投与された覚えがあります。

それでも心拍も再開せず、そのまま病院へ。

一時間半ぐらい蘇生は続けられましたが、医師からもう、脳に酸素が渡らなく

なってから長時間たっていること、蘇生をやめることの確認がなされ、

心停止から長時間経ちすぎていることで、あきらめる決断をしました。

まもなく到着した、義母と子供達も夫にありがとうと声掛けをして

お別れの対面をしました。

そして、解剖は家族も倒れるところをみており、救急隊もかけつけたことから

不審な点はなく、解剖は不要とのところ、夫の死を無駄にしたくないため、

原因究明を可能な限りしたいので、医師に、心臓と肺の解剖をお願いしました。

しばらく協議がなされ、その間、各方面に夫の死亡の連絡を入れました。

警察による聞き取り、現場検証が行われ、解剖はは大学病院の医師が来る夜

になることがきまり、長く霊安室に留まりました。

夫は僧侶であり、多くの人眼にも触れるであろうことから、髪を散発してあげた

いと思い、夫が生前お世話になった美容師さんが病院のちかくでもあり、

最期のカットをお願いしたところ、快く受けてくださりました。

すべて処置や手続きを終えて遺体と帰宅したのは夜の11時頃でした。


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