夫が倒れたのを見た瞬間これはやばいと感じ、中学生の長男にお父さんヤバいか
らと、私は人工呼吸、長男は心臓マッサージをするように、義母には救急車の要
請を三女と次男にはAEDを探し、近所の大人を呼んでくるように言いました。
救急隊が到着するまで、長男と二人で蘇生を試みました。
一度は息を吹き返し、カラいびきをかいたり、戻したり、しましたが、
パンツが濡れた時にそれが何を意味するのか考えるのも嫌でした。
ようやく到着した救急隊の対応はもどかしく、一刻を争う救急救命を担うものと
は、ほど遠いもので、いらだたしく感じました。それは、後から、義母も感じた
ものであったと聞きました。
とるものもとりあえず、救急車に一緒に乗り込み、彼の足をさすって、
「家にかえろうね!」「頑張って!」と声をかけ続けました。
機械で心臓マッサージを受け、時々AEDによる電気ショック。
電話を通じて、恐らく医師の指示を仰ぎ、カンフル剤のようなものを注射か点滴
だったか、何度か投与された覚えがあります。
それでも心拍も再開せず、そのまま病院へ。
一時間半ぐらい蘇生は続けられましたが、医師からもう、脳に酸素が渡らなく
なってから長時間たっていること、蘇生をやめることの確認がなされ、
心停止から長時間経ちすぎていることで、あきらめる決断をしました。
まもなく到着した、義母と子供達も夫にありがとうと声掛けをして
お別れの対面をしました。
そして、解剖は家族も倒れるところをみており、救急隊もかけつけたことから
不審な点はなく、解剖は不要とのところ、夫の死を無駄にしたくないため、
原因究明を可能な限りしたいので、医師に、心臓と肺の解剖をお願いしました。
しばらく協議がなされ、その間、各方面に夫の死亡の連絡を入れました。
警察による聞き取り、現場検証が行われ、解剖はは大学病院の医師が来る夜
になることがきまり、長く霊安室に留まりました。
夫は僧侶であり、多くの人眼にも触れるであろうことから、髪を散発してあげた
いと思い、夫が生前お世話になった美容師さんが病院のちかくでもあり、
最期のカットをお願いしたところ、快く受けてくださりました。
すべて処置や手続きを終えて遺体と帰宅したのは夜の11時頃でした。